不思善悪

こんにちは。

 

今日はまた厳かに

 

 

禅の考え方に「不思善悪」というのがあります。

 

これは「善いか悪いか」「○か×か」という二元論的な見方をやめて、物事をありのままに受けとめることです。一休禅師もこの「不思善悪」を悟ったそうです。

 

 

私たちは、出来事に対して、すぐに「善いこと」「悪いこと」と解釈してしまいますが、本当は、出来事自体には善いも悪いもなく、ただその出来事が中立に存在するだけです。それに私たちが意味づけをして、自分で付けた意味に振り回されたりするわけです。

 

 

ある出来事を、「とんでもない事が起きてしまった!」とか、「最悪の事態だ!」とか、「もうダメだ!」などと受け止めると、動揺したり落胆したりしてしまいますね。

 

 

さて、一休さんは亡くなるときに、不安がる弟子たちに一通の封書を渡したそうです。

そして、「この先、本当に困り果てるようなことが起きたら、これを開けなさい。それまで開けてはならない」と言い残しました。

 

何年か後に、寺に大変な難問題が持ち上がり、どうしようもない状況になってしまいました。そこで弟子たちは、一休さんの封書のことを思い出し、開けてみることにしました。

 

その封書を開けてみると、そこには、「なるようになる 心配するな」と、書いてあったのです。

 

これが一休禅師の遺言と言われる封書の話です。

 

 

事象に勝手に意味づけをし、自分でつけた意味に振り回されたりしないように「不思善悪」を悟るようにしたいものです。

 

 

さっそく実行してみましょう。